少し風が強かったものの、天候にめぐまれました。
10分ほど船で移動し、浮きのあるところで止まったかと思うと機械が動いて・・・
出てきたのはホヤ!
大漁です!!
なんでも、ホヤの養殖は3年かかるそうです。
2014年のホヤは津波に流されてからはじめてとれたものでした。
刺身、ホイル、スチームにして食べるとおいしい
と、くわしく説明してくださいました。
そして、ホヤをさわってみることに・・・
触った感じは「ぶにぶに」という言葉がぴったり。
みんなは不思議そうに、でも興味津々にホヤを見ています。
ホヤにはマイナスとプラスがあり、そこから水を出し入れしています。
ホヤに入っている水をはじめさんが出したときは、「わっ」と声が上がりました。
とれたてのホヤを食べてみることに・・・
どんな味?
「しょっぱい!」
「食感が不思議!」
「新鮮でおいしい!」
船からあがってから、はじめさんにお話を聴くことができました。
はじめさんは地震の前、漁をしていました。
そのとき、地震の前触れである地鳴りが聞こえたのです。
(おかしいな、普通海上で地鳴りは聞こえないのに。)
そう思っていると、
水をはったたらいをゆらしたときに出るような三角の波が一面に広がったのです。
それから少しして揺れを感じました。
時間が長く、大地震だと分かったはじめさんは陸に戻ります。
陸に帰ると、3mの津波警報が出ていました。
少しすると、6mの津波警告に変わり、
留守だった息子を迎えにいったときには10mの津波警告になっていました。
息子を連れて家に戻る途中で波がきたので、はじめさんは山に行きました。
津波第1波、第2波、第3波と、だんだん高い波が押し寄せてきます。
多くの家が押しつぶされているのが見えたそうです。
その津波は、はじめさんの船もさらっていきました。
4隻あった自分の船を探したものの、見つかりません。
修理可能なひっくり返っている船がいくつかありましたが、はじめさんのものではありませんでした。
船がないので、海に行けません。
また、海に沈んでいる船もあったため、養殖もできません。
はじめさんは他の仕事につくことも考えましたが、
家の近くに戻ってくると海のにおいがして落ち着きます。
(できることなら漁がしたい)
そうはじめさんは思いました。
漁をするためには沈んだ船を撤去してもらう必要があります。
はじめさんは2011年5月に行政に相談しました。
大きい作業は行政に頼み、小さい作業は自分たちで行いました。
北海道から、養殖に1年かかるホタテの種が送られてくるので、11月までにセットすれば翌年に間に合う!
はじめさんは必死に作業をしました。
船は、いろんな漁師と共有しました。
震災前は自分が経営者で人々を動かす立場だったはじめさん達。
その漁師さん達が協力して漁をします。
「役割分担ができて、支えられた」 とはじめさんは話します。
(震災当時、いろんな人に支えられたからお返しがしたい)
そう思ったはじめさんは、加工会社を通さず、お客様にダイレクトに商品をお届けする会社を設立しました。
顔の見える取引をすることで、自分たちの育てる海の幸の量や質だけでなく、
人とのつながりも考えるようになったそうです。
今まで通り雄勝で漁師をしていたら、雄勝の人としか出会えなかった。
震災があって、いろんなところに出て行ったり人が雄勝にきたりして、人とのつながりが大きくなった。
はじめさんはこれからも、おいしいを直接お客様にお届けします。
「毎日を一生懸命生きていたら、4年がすぎていた。」
と、はじめさんはおっしゃいました。
震災から4年、はじめさんは私たちに大切なことを教えてくださいました。